春の○○祭り(その3)

さて、釧路市立博物館です。

なんか文体が変わっているような気がしますが気のせいですw

目的は以下の通り。釧路炭田と鉄道のかかわりについての知識を得ること、そして石炭基礎講座「鉄道編」で実際に(日本で唯一)動いている炭鉱鉄道を見学すること。(大仰ですがね)

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おそらく、釧路市立博物館に知己がなければ目に届かない話だったと思われるが、いい機会を与えてもらいました。

 

入口を入ってすぐには、他の館の催しなどの案内が貼ってありました。たとえば、 DSC_0499

これは苫小牧ですね。

そして、博物館・美術館は当然として、いろいろ貼ってあるわけです。

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ウルフルケイスケ…(^^) (言わずと知れたあのウルフルズのギタリスト&リーダーだが、ここで見るとは思わなんだ(笑))

さて、ここで皆様(ってどれぐらい読んでもらってるかわからんのですが)にはお詫びを申し上げなければならない。

博物館の展示そのものの写真がない。

言い訳をすると、予想をはるか超える展示のレベルに見るだけで精一杯だったため、とても写真に収める余裕がなかった。
(大学時代に所属してた某組織の後輩で、ここの学芸員をしているKさんに「展示を見るなら早めに行ったほうがいいですよ」とアドバイスを受けて、早めのバスに乗ったんだが、こんなことならチンタラ博物館の外で飯を食ってるのでなかった)

ということで、さらに言い訳代わりにいうと、炭鉱鉄道はただ石炭を運んでいたんではなかったんですよ、ということ。
夕張や空知の例でもあるように、当時は人手に頼っていたこともあって、数千人から数万人レベルで炭鉱を中心とした経済が動いていて、石炭以外にも生活物資や人そのものを運ぶためにも炭鉱鉄道は動いていた、ということです。

鉄道によっては、それはついででなく、きちんと投資をして当時最新鋭の気動車(ディーゼルカーですね)を投入して輸送力を確保したりもしていて、そういった車両の中には、閉山・廃線後に関東に移籍して長らく動いていた例もあります。 …知識としては、関東鉄道の車両の中にたしか北海道出身の車両がいたなぁ、とかいうのはあったのですが、そういうことだったのね、と。

あ、もちろん、石炭輸送そのものも極寒地ならではの苦労や炭鉱鉄道としての効率の追求があって、それをどう克服・発展させてきたかというのが歴史とともに見ることのできる展示でありました。

撮影禁止ではなかったはずなので(実際に写真撮ってる人がいたし)何か撮って置きたかったとは思うのだがアフター・ザ・カーニバル(笑)

とか何とか言っているうちに時間が来たので石炭基礎講座に出かけます。
参加料が保険料の50円だけという破格をこえた話で、これがもろもろ釧路市民の税金から出ているのかと思うとあまりに申し訳なくてですね、当日は見なかった常設展(これもかなり見ごたえあるんで、ぜひ釧路に行かれた際には一度見てみることをおすすめします)の入場券を購入してしまった次第。(それでも安いったらない)

ということでヘルメットをかぶって「まなぼっと号」(見た通り、バスです)で移動します
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着いた先は太平洋石炭販売輸送さんの輸送課。
もともとは別組織で「釧路臨港鉄道」といってましたから、調べるとすればそれをキーワードにするといいかもしれません。

まぁ、場所でいうと「春採駅」です。
駅といっても貨物駅なのでホームやなんやらがあるわけでなく、一般貨物の取り扱いがあるわけでもないのでコンテナもその辺には積んでません。石炭の積み下ろしをここでするわけでもないのでただ線路と何がしかの倉庫があるだけの場所ですが。 そこに我々を待ち受けるように(たぶん待ち受けていたんでしょう)、編成の両端に機関車を付けた石炭貨車の長い編成が止まっておりました。

【注】以下の写真は博物館企画で特別に準備いただいた場所で撮影したものです。個別の申請は受け付けていないとのお話なので、くれぐれも同じような写真を撮りたいからと言って運営会社や博物館に許可を求めたりしないようにお願いします。

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D801を先頭に、石炭車が並んでおります。機関車の上についているのは雨除け、というか水除けで、エンジンの放熱効率をあげるために「ふたをあけて」いる代わりにつけているもんです。(いま、これを書いてて思ったんですが、通常だとある程度速度が出るので空冷が効くのが、そういう環境でない(重いものを短距離輸送する)ことからの処置なのかなぁ、と)

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長身イケオヤジの輸送課課長さんが自ら運転時の状態を実演していただいております。
この手の機関車は進行方向に向かって垂直(つまり横向き)に運転台がついているので、こんな格好になるというお話。
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そして石炭車。一般的に石炭車は底が開くか、側面が開くかの2択なんですが、ここは側面が開きます。機関車からの遠隔制御で開けられるとの話。
開ける際に結構派手に「バタン!」と開くんですが、これは飛散防止でしたっけ、そのために石炭を積んでから散水をするんですが、冬だとそれが凍って固まってしまうと。それを衝撃で崩すという役割も兼ねているとのこと。 そしてこれから徐々に細かいところに入ります(笑)

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で、ここの石炭車はなんと連接車なのでありました。2両一組で運用して、かつ他の会社の路線に出ていかないので、運用上最適な形態をとれるということですね。
軸重といいますが、貨車が載せている貨物(ここでいうと石炭)の重さは台車、もっというと個々の車輪が引き受けます。あまり車輪の数が少ないと車輪あたりにかかる重さが大きくなりすぎて軌道(線路)を痛めたりするのですが、そういう心配がなければ台車や車輪は少ないほうがいい(あればあるほどコストがかかりますからね)。
このあたりも含めて、ここの鉄道は、こういった徹底的な合理化を最盛期から進めていたのですが、それが今も存続できている理由のひとつではないか、とは展示や現地でのお話でも出ていました。
ちなみに、この写真の車両のみ、車輪がスポークだそうです。

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車両自体はこんな形で、特にざっと見た限りそれほど特徴があるようには見えません。が、連結面周りにはさまざまな工夫があります。 連結器のカバーや車両上方の工作物は、石炭の積み込み時に車両の間に石炭が落ちないようにするためのカバーであったり、それでもこぼれるものが走行に影響を与えないようにするためのものです。

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編成の中央部に、こんな目印があります。これは、走行時につながっている車両が、積み込み・積み下ろしの差にはこのマークを境に2つに分かれて、前後2つの列車で同時に作業ができるようにする、その切り離しの目印です。

このやりかたを、もう40年前に「シャトルトレーン」という命名とともに実行していたのだから驚きです。

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ということで最後に全景。2両一組が6組+機関車、それを2倍、なので非常に長いです。おまけに、スポークでない車輪の連接部もお見せしておきましょう。

 

おっと、最後の大物を紹介せねばなりません。

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DE601号機。この機関車だけが「DE」と名乗っています。

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なぜならば、この機関車だけがディーゼルエンジンで発電した電気で走っているからです。つまり、EはElectoricのEです。

最近こそ、JRでもこういった形の機関車を投入するようになりましたが、その昔、ディーゼル機関車を投入しだしたころに一部あっただけで、その後は「液体式」という(詳細はググってくださいw)が主流だったので、しばらくこの車両が日本で唯一の電気式ディーゼル機関車だったとかなんとか。日本車両がGE(ゼネラルエレクトリック)社の技術指導をもとに云々、と銘板に書いてございます。どうりでアメリカンスタイル。

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排雪器(スノープラウとでもいうんでしょうか)には顔が書いてあります。通称「シャーク」。お茶目です。

 

 

 

 

 

 

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特別に発電機を見せていただいて、この状態でエンジンを入れていただきました。いやぁ、迫力。

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