初詣と言うには多すぎる(2018正月お参り履歴)

えぇ、ただのメモですとも。三が日で合計9ヶ所(以上?)も行くとか正気の沙汰ではない(苦笑)
1)石上神宮(1/1)
「七支刀」が有名な、もとは物部氏の武器庫であったと言われる場所。公式サイトによると「日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。」


2)天理教教会本部(1/1)
まぁ言わずと知れた、というか名前以上の説明はどうだろうという場所ですが。
初詣よりもお供えされた餅が振舞われる「節会」の方が来場者が多そうな場所ではあります。
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3)橿原神宮(1/1)
アレですね、アレ。ある意味、明治以降の国家神道の象徴と言っていい神社ではあります。同じような位置付けとして平安神宮や明治神宮がありますけど、その起源を国家神道的に象徴するのがここですね。

4)山辺御縣坐神社(1/1)
打って変わって、ここは地域(小学校区より小さい大集落)の氏神という位置付けの神社ですが、古代奈良盆地の主要道の一つである中ツ道(中世以降は橘寺へのルートとなるため「橘街道」とも呼ばれる)に沿うためか、いくつかの由来と宝物がある神社です。
藤原氏の(初期の)絶頂期を謳歌した藤原道長がここの社で宿泊したとかの話は地域ではよく聞くところですが、最近では社内寺の妙観寺にある十一面観音(重要文化財)が話題になっているようです。いったん明治初期に廃寺になったものの、観音像は村内に移されて保管されていて、のちに現在のお堂に移されたとか。昔は神も仏も同じようにこう祀っていたのか、とも思わせるような佇まい。

5)通称「大神宮」(1/1)
正式な名称は不明。集落(4)よりさらに小さい生活単位の「ムラ」)の鎮守ともいうべき稲荷と地蔵尊。集落内で順繰りに担当を決めて維持されている。地蔵尊は「泥かけ地蔵」と言われ、痛む場所と同じところに泥を擦り付けることで治る、といわれたお地蔵様だったが、数十年前にムラで決めて泥掛けをやめたとのこと。同時に?祠を建てたか。神社の方は稲荷なので数体の鳥居がある。入り口の石造りの鳥居は、ムラから出て行って京都で事業を広げた人が寄進したとの話。いろんな場所でこういう話はあるんでしょうね。

6)興福寺(南円堂)(1/2)
興福寺でおそらく一番初詣に並ぶ人が多い場所ではないかと。いま行くなら東金堂かどちらかでしょうが、中金堂が今年中に再建落慶の予定なので来年以降は少し状況が変わるかもしれません。

7)寛永寺(弁天堂、根本中堂、清水八幡宮)(1/3)
距離感と規模で3つに分けた方がいいぐらいの話ですが、一応寛永寺ということで。弁天堂は上野駅から近いし人も結構並んでいるんですが、根本中堂は意外に空いてます。正月2日、3日は特別に開扉するみたいで、そのうち何回か説法を聞く機会もあります。寛永寺の由来とか、歴代将軍のお墓がなぜ寛永寺と増上寺に分かれているか、なんて説明もありました。

8)上野東照宮(1/3)
じゃぁこれは寛永寺に含むのかどうか、ですけど東照宮なので。

9)増上寺(1/3)
寛永寺が強いていえば幕府の寺なら、増上寺は徳川家の寺、といういうべき位置付けだったそうで本来は。しかしいろいろあって歴代将軍の廟は両方にある、と。(これは寛永寺で聞きました)まぁそういうことなので増上寺は浄土宗。土俵入りの横綱のように東京タワーという太刀持ちがいい感じで後景に。

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