いつかは?いずれ? [「オペレーションZ」( 真山仁 / 新潮社 )]

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ひさしぶりに政治・経済系の小説を読んだ。
ここ十数年常に話題になる、「世界でも突出した国債発行残高」が行き着くところでどうなるか、を題材にしている。

言うまでもなく家庭だろうが企業だろうが借金が増えれば借り入れの余力は減る。金利が上がるし言い訳が必要になるし稼ぎの確実性の保証は厳格になる。
それでも日本は稼ぎと貯金が多くて家庭内(国内)で借金を引き受けているので他所からはまぁ、家のなかでやりくりしてるしな、と言われてきたけど、家族が減ってしかも家から出る稼ぎ手が増えてきた、結果、家のなかにいるのは披扶養者ばかりだ、さぁどうする、てなところがこの小説のベースだろう。
たしかに、今の政治の流れではこの小説のように茹でられてなお湯に浸かっていることを危機に思わず、後がなくなったところで、生保の取り付け騒ぎを奇貨として、財政再建に一身を賭ける政治家がプロジェクトチームを立ち上げて超ハードランディングを試みる、なんてことがないとも言えないし、いや、あるかもしれない。
刻一刻とタイムリミットが迫る中で、マスコミとの情報戦、内部リーク、官僚と政治家の立場の違い、省庁間の駆け引き、中央と地方の受け止め方の違い、などなどがプロジェクトチームの要因の動きを軸に描かれる。
そして、内輪の反乱の結果、お茶を濁すような政策転換(それだってもう手遅れだが)さえもできないかもしれないけれど、という状況も、今の政治と社会を見ていると、いかにもあるように思える。
なかなか重い。
ただ、登場人物が悲劇的な結果に終わっていないからか、そこまであえて書かなかったからか、いや、そこは著者が希望を残したかったからか、その過程で生まれたものが(絶望のなかから)何かを変えるかもしれないという気にはさせてくれる。
いや、実際のデフォルトはそんなに甘くないはずだが。
ところでこの小説のなかには老齢の空想小説家が登場する。そして現状にも似た政治状況に対しては非常に手厳しい。著者の言いたいことはこの小説家の発言と架空の小説の原稿ではあるまいか、そんな気もする。
そしてちょっとしたトリックもあったりする。あとから「あっ、あれが」とか思うのだが。

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