裏でなく奥を読む。

さる日曜日。広尾まで写真展に行って来た。
いや、写真展というとちょっとイメージと違うかも、だけれども。
ネットで強まる「不寛容」すぎる空気 元ひきこもりの写真家が映したこと
(BuzzFeed News)

最近、少しマスコミがいろいろなことを「(不)寛容」という言葉で取り上げるので意識として少し広がった気がする(同時に意味がぼやけた気もする)が、特に政治とか主義主張の話にあると本当に「違うことを認める」「共通することで認め合う」のが難しいと感じることが多かった。全方位的に。
で、解散総選挙の諸々もあって裏の話ばかりが幅を利かす中で、この展示があるというのは刺さった。
いや、正直いうと一度刺さったが諸々家事などで忘れてて、思い出したのは最終日、9/30の15:20。
で、しばらく迷ったんだが、意を決して行って来た。(これが東京のいいところ)
広尾に行って、ちょっと迷って、現地の到着したのは17時すぎ。

展示物がそんなにあるわけではないので、大きい博物館のように見るのに時間がかかるわけじゃない。
入ってすぐに、イラクで人質になった今井紀明さんに、帰国後?送られた数々のハガキが写真とともにコラージュされているのが目に入る。一目見てそれを送った人間の常識とか理性を疑う。何故こんなことがわざわざハガキの形で本人に送れるのか、
でも、数々のハガキ、手紙。それを本人に見せないようにと気を使って居たお父さんの忠告も聞かずに?今井さんはひとつひとつ読んだこと、そこでそれを書いて送った人に逢って、話を聞いてみたいと思ったこと、そしてそれを実行に移したこと。
そうしたことをPhotoBookのダミー(プロトタイプ)で「読む」と、なぜ、今井さんはそこに、送った人の裏でない、奥に目を向けられたのだろう、と思う。俺なら、あれは無理だ。
そして面と向かって、あるいは手紙のやり取りの中で、最初「バカモノ」と書いて居た人は「ガンバレ」と書くようになる。
そこまで行って最初の展示を見てみる。
いや、文面はひどいよ。相変わらず。「非国民」とか「帰って来るな」とか「劣化ウラン弾で死ね」とか。なんでこんなことをテレビで見ただけの人間に書けるのか。
でも少し、「なぜ、この人は(大して)名乗りもせずにこんなことを、テレビで見ただけの人に書くようになったのか」みたいなことは考えるようになる。
そういえば、とても比較にはならないが、大学時代にもあったな。
とある組織にいたが、辛辣な、何をそこまで、と攻撃的な文章を投げて来る人がいて、でも周りの大人のアドバイスもあって、会ってみるととても温厚な、話のできる人だった。最終的には運営にも協力してもらえるようになったっけ。
そこから、批判されても、批判し返さない、できるだけ話を聞いて、違うことが多くても、どこで一致できるか、どこで繋がれるか、と意識して来たつもりではある。
でも流されて、諦めてたかもね。
今井さんは今、関西を拠点に学習支援のNPOをやっているらしい。
国内でも、いや、ここでやることがある、と気づいた、と書いてあった。
まっすぐだな。すごいなぁ。
行ったり来たりして見てるともう6時近かった。
企画した(とあえて言いたい)岡本裕志さんと、少し、ほんの少し、話ができた。
で、思わず、「Photobookの刊行情報をいただくにはどうしたらいいですか?」なんて(意味の発言を)口走っていた。
ヴォルテールに有名な「私は あなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という言葉がある。
でもこの物語はもう少し柔らかいところで「裏」でなく「奥」をみることの大切さを、語りかけているような気がした。
むろん、人の尊厳を、存在を否定する言葉を、行動は許さない。
でも、それでいて、かつ、柔らかく行きたいんだ、いや、生きたいんだ。
そして、人の尊厳を、存在を否定してしまったことに気がついた限りは許される自分で、社会でありたい。
なんてことを考えながら、外に出た。
もう展示は終わったけどね、この記事の写真、少し、そんな視線があるような気がした。
写真を、眺めてみるとどうかな。
「正直、難しいと思っていた」―枝野氏、新党に至る決断と背景(Yahoo!ニュース)
http://hiroshi-okamoto.com

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