津軽は端だが旅に立つ(2:寝たまま関を越える)

さて、朝っぱらからいろいろ策を弄するも策に溺れて、結局当初の計画と同じ列車に乗ることになったのだが、幸いなことに宇都宮行き快速のグリーン車には若干の空席があった。

何度も往復している路線であるがゆえ、特に車窓を欲してもいないので通路側の席におとなしく潜り込んで、大宮駅で買った朝食のサンドウィッチを食そうとしたところで気になったことがあった。
近くに座っているおっさんも何か食べようとしているのだが、動きがとにかくせわしないのだ。袋からパンを取り出しパクついて缶コーヒーを飲んで、またパンを食べて、食べ終わってパンが入っていた袋を座席の前のポケット(というか網)に入れて、またパンを出して食べて、食べ終わった後スマホを見てさらに本を読む・・という一連の動作がとにかく忙しなくて本人ポロシャツ短パンスニーカーでそれなりにリゾートスタイルなのに、繁忙期の勤務中の昼休みレベルの動きというか。
大体は寝てたりする静かな(隣はゴルフ行きなのに仕事の話でうるさかったが)車内で目立ったので、あぁ、日常が出るよねぇ、というかリゾートに慣れてなさそう、と思いながら眺めて・・おっとサンドウィッチを(笑)。
 
とかなんとかしてるうちに宇都宮。グリーン車内はゴルファー多そうだったので、那須方面に向かう黒磯行きの混雑が・・・
 
・・・なんのことはない、ゴルファーの皆様は宇都宮から車なのか、それとも那須塩原まで新幹線なのかわからんが黒磯行きにはほとんど乗り換えず。
ホッとして列車を待っていると「列車は4両」とのアナウンス。ん?4両?そんな編成あったっけか?と、入線して来た車両を見やると、なんのことはない、205系でありました。そういや日光線を中心に運用に入っておりましたな。ここでまた会うとは。

車内に入って、やはり205系であることを確認。長時間乗る車両でないけど、空いてるので乗客的には快適、JR的には苦虫な状態での出発。

で、気がついたら黒磯。(ほとんど寝ていた)
この後は少なくとも米沢までは(福島から米沢までの列車本数がネックで)新幹線を使うか、仙台経由にしない限りは列車の選択に代わりがないルート。もう行程の弄りようはないので、待ち時間をどう使うかに頭はシフトしている。
福島で小一時間の待ち時間があり、ちょうど12時前後なのでここで昼を摂るとして、そこまでで気になるのは黒磯での車両の出入り。
現在の黒磯は以南の直流電化区間と以北の交流電化区間のまさに接点で、駅構内で切り替える方式になっている。だから直流の211系と交流の701系が直接乗り込んで来て乗り換えができる。
それだけでなく、たとえば常磐線などで使っている交直流兼用の車両が来て直通もできる(実際、新幹線開通前は485系や583系の交直流特急電車が東京から仙台・会津方面へ直通していた)が、駅内の設備で切り替えるため停車が必要。
新幹線が開通して直通需要が激減した今ではそれで問題ないのだが、問題は貨物で、この辺りを走る貨物用の機関車は、長距離運用を可能にするため交直流機関車が主流になっていて、別に機関車を交換する必要もない。それなのに交直流の切り替えのためだけに停車するのは効率が悪い、という話になったのか、通常見られるようなデッドセクション(無電区間)を駅と駅の間(黒磯駅の北側)に入れて、走りながら切り替える方式になるという。それが完成してダイヤ改正と車両運用が変更になるのが今年の10月。
つまり、205系と701系、特に701系はダイヤ改正以降黒磯には出てこなくなる。大した写真を撮るわけではないが黒磯ではそれを記録しておきたい。
まぁ、そういうことで黒磯では何枚か写真を撮ることにして、まず改札を、と思ったところで面白いものがあるのに気づいた。

サボ(側面行き先表示票)で作られたタワー
サボ(側面行き先表示票)で作られたタワー

なんとまぁ懐かしい。サボで作ったタワーか。多分前からあったはずだが気が付かなかったのだろう。
まぁそんなこんなで写真も撮りつつ次の列車に向かう。階段の上り下りだけはなんとかならんのかねぇ、と思いつつ。降りたら見えたのが701系。実はこの車両、ほぼロングシートなのであまり嬉しくない。でもまぁ、空いてそうだから許す。

その701系に乗り換えて(やはり拍子抜けな空き具合だった)・・・
乗った後はまたもやほとんど記憶がない。新白河で新幹線に乗る・新幹線から乗り換える客の出入りが多くて一瞬目が覚めたぐらいだ。
こうしてこの日は白河の関を寝ながら越えた。いい時代だ(なにを)
 
そして郡山。
ここは駅のはずれ?に工場があって、時に珍しい車両がある。ちょっと眼をやると、三年ぐらい前までは絶賛主力車だったキハ40/48系の姿があった。それも東北(小牛田)色の。
ボケているのはカメラのせい(?
ボケているのはカメラのせい(?

個人的にこの東北色キハ48系、不思議に思っていることがある。どの車両を見ても異様に塗色が美しいのだ。
国鉄民営化以降30年、それ以前との比較は難しいが、民営化直後と比較して、感覚だが明らかにレベルが落ちて来たのが塗装の維持ではないだろうか、と思ったりしている。5月に長野へ行った際には帰りの「スーパーあずさ」に充当されたE351系のあまりの退色、サビ浮き具合に、訴えて(どこに?)やろうかと憤慨したぐらいだ。
なのに、この東北色キハ48系だけはどの車両を見てもサビ浮きがないのはもちろん、四十年選手とは思えないぐらいの輝き具合でどういう維持をして来たのかと、いつも不思議だった。
 
それが郡山工場に1両、留置されていた。郡山近辺では運用はないはずで、主区である小牛田でも置き換えが進んでいる。リゾートトレインあたりへの改造種車になるのか、それとも。
 
そんなことを考えながら売店へ買い出しに向かうと磐越西線の車両が入線している。よっぽど会津若松から新津方面へ抜けたい気がしたが、それをやると今日中につけるかどうか怪しい。それは後日にして福島へ向かう車中の人となった。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です