全然京都の話じゃない!奈良だ!

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これがまた奈良の話ばっかりでね

いや、謝らねばなるまい。
「応仁の乱」(呉座勇一著、中公新書)のことである。
タイトルから安易に室町中期の京のあれこれを想像して、「先の大戦の」などと茶化しはしたが、読み始めて驚いた。何が驚いたかって、あなた、大和の話鹿、いや、しか出てこないじゃないか!という。

いや、まぁ、序盤はさ、南北朝問題もあるし、摂関家のルーツは言わずと知れた大和で、氏寺氏神は興福寺、春日大社なんだから。尋尊も経覚も摂関家の一族で、官寺たる興福寺の別当という、京の政治事情を知り得る立場にいたし、で事細かな日記が残ってる。だからここから見るのはアリだし探りやすいからな。
まぁ、そのうち、京の話が・・・
え?
第3章で京での戦乱の実態を描写するんだが、そのあとはまた河内と大和の話に戻るんですよ。で、山城南部の話が出てそのまま終わってしまう。
現代の奈良の人間にとって、応仁の乱とはまったくもって他人事、隣のええとこの家の体面争いの末の喧嘩、みたいな認識が一般的だとは思うんだが、この本に即して言えば、奈良及び畿内の争いが遠因となって結果的に京に持ち込まれたという話であったりする。
まぁ時の将軍、足利義政の采配だの、管領家の細川勝元だの両畠山だのの問題が絡むので、京にとっての貰い事故、という話ではないんだが、資料的に興福寺別当の日記を参照していることもあって、そしてそれ以上に興福寺(と大和武士)が争いに首を突っ込んだせいでコトが大きくなったという。
で、書中で著者も指摘しているが、何でもない事件(直接的には畠山家内の内紛)がいろいろ巻き込んでしまう(南北朝分裂の収束処理、将軍家の跡取り問題と時の将軍の采配、それに絡む特に大和武士=興福寺の門徒etc)ことで、戦そのものが誰も制御できない、誰もイニシアティブを持てないモンスターになってしまった、そしてそれは第一次世界大戦にも似ている、と。
こんなに始まりも終わりもはっきりしない、しかも中世の大和とかいう一般歴史的には忘れさられた題材を何とかしようというんだから、そりゃ大河も視聴率取れんわなw。
ただ、奈良県民としては、他に専門書を読まずともこれ1冊で室町期の大和の政治体制に関して(かつ応仁の乱とその前後の政治環境について)大要がつかめるはずなのでぜひ一読いただきたい。一方で、京で起こった細かい話についてつぶさに見ていくなら、追加で資料や本が必要かもしれない。
ひとつネタバラシをするとすれば、戦国における筒井家の「日和見」はもしかしたら応仁前後で政局に積極加担して結果手負ったが故のトラウマなのではないかと思えたりするぐらい、この時期の筒井は積極的であった、ということは記しておいていいだろう。
あと、歴史考証的には、当時、興福寺の別当であった経覚と尋尊には感謝であろうなぁ、と。(奈良県民的には、知ってる地名が大字レベルでバンバン出てくるのでそれも役に立つ)
ということで、たぶん、大河にするなら尋尊より経覚のほうが面白いと思う。(そこ?

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