2年ぶりの女川、はじめての復幸祭(序章)

いつの話だよ…w

ま、いろいろヨタを書きつつゴマカしてきましたが、ようやく話は3月に戻ります。(ゆっくり書きますけど)

なんだか知らんが今年は復幸祭に行こうと思い立ったのが3月に入ってから。ここ3年ほど空かなかった連休がたまたま空いたこともあるのですが、やはり去年、女川、というか北のほうに行けてなかったのが理由です。

さて、写真展後、東向島駅から戻ることにして駅まで来たところ、高架下に唐突に路面電車とDRCのカットモデルが。そういえばここには博物館がありました。

で、どうせなら、ということで曳舟から亀戸へ出て総武線で帰ることにして乗り換えたら、またこれが旧塗装再現車の8000系でございました。なかなか渋い。

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総武線で自宅に戻って荷造りしてシャワー浴びてまた中央線に乗って・・・東京駅から夜行バスで仙台へ。

 

そして仙台。(端折るよー)

駅前で降りた時にはまだ暗かった。まだ時期的に寒いんだが、ホームで待つ…にはあまりに寒かったので、一つ南の長町まで往復。

これで若干の時間稼ぎをして、戻ってくるとホームに座っていたのがこれ。このハイブリッド車も今回の旅の目的のひとつ。

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仙石東北ライン(石巻行き)

仙石東北ライン。

むろん、仙石線を使えば仙台から直接石巻に行けるし、何の問題もないんだが、海沿いの市街地を縫って走っている形なので少々時間がかかる。それに対して東北本線は大幹線なので当然のように線形は良い。で、この2つが松島のあたりで絡むように近接しているので、どうせならつないでしまえば石巻へは速い、というのがこの(連絡)線の目的といっていいかと思う。

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右下が松島の市街というか海岸。左上に東北本線と仙石線があるが、その間をつなぐように敷いてあるのが仙石東北ラインのための連絡線。

(実現には電気関係の問題とか色々あったようだがここでは割愛)

そういうことで、いい機会だったしちょうど時間があったので石巻までこれで行くことに。復幸祭当日ということで混雑を危惧したものの、朝早かったせいでさほど心配には及ばず。

で、石巻で乗り換え。以前は車齢を感じさせない超絶メンテな東北カラーキハ40系だったのが下の写真のE110系に置き換わっていて、若干寂しいやら嬉しいやら。

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で、女川まで復旧する前の終着だった渡波だの浦宿だの(おぉ、すでに懐かしい)を通り過ぎ、短いトンネルをくぐって女川市街地(になるはずの場所)へ。まち開きから2年、変わっておる。で、ほどなく女川駅着。

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すでに車は結構停まっていて、さすがに復幸祭、と思いつつ眺めると、ポツポツと団地やら建物が。この前に来たのは2年前の「まちびらき」だったので、おぉ、進んでるなぁ、と。

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進んだなぁと思ったのはこれもそうで、朝の女川発、夜の仙台発の1往復が女川直通になっていた。まちびらきで村井知事が「仙石東北ラインを女川まで!」とJR東日本の支社長の居る前でスピーチして、「やるじゃねぇかリップサービス」と思ったのだが、謝らねばならない。もう1往復、逆方向に(午前女川行き、夕から夜に仙台行き)を出してくれるともっと便利になるよなぁ、と夢想するなど。

このあと駅舎の上(展望スポット)に上るわけですが、そこから後はまた。(いつだ?)

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