復活の狼煙、的ななにか。

もう1時過ぎてて、本当はこんなことしてる時間じゃないんだが、書きたくなったので書いてみる。
2017年も20日ほど過ぎて、今さらこういうのもなんだが、まぁ、節分で1年を区切る文化もあるので、そこにならって?「明けましておめでとうございます」、なんてことを口走ってみる。

実は今年に入ってから10年ぶりの入院をしまして、(前回は水ぼうそうになったための隔離入院だったからほんとうにただ入院だけだったが)今回は手術などもやらかしてしまいまして。
目が霞むなぁ、戻らないなぁ、と思っていたら白内障だったのですよこれが。
で、視力としては0.3ぐらいのオーダーだから無理に手術することもない、というのが主治医含め周囲の大方の感想だったのですが、白内障ってレンズそのものがイカれてるのでメガネで修正できないのですよ。これがけっこう大事(だいじ、とも、おおごと、とも読む)なことで、
・視力が悪い、目が見えないって、メガネで全部補正できると思うな
・この場合、実は紙に書かれた書類がいちばんやっかい。(パソコン上は拡大表示してしまえば何とかなる)
みたいな話があって、そのうえ、パソコンで拡大表示したって限度があるわけで、しかもそうした場合は著しく作業効率が落ちるわけですよ。
サポートや保守受付を生業とする今の業務にはこれは致命的で、やはり治すしかないと。
で、本当は、左のほうがひどくて、そっちから先にやるべきだったんだが、左を先にやると離脱期間が半端ないのと手術計画が立てづらくなる(今の病院ではやれないので転院が必要)と。で、右は一応、白内障の手術ということだけでOKだったので、まず右だけを先に治すことにしました。
それで入院したのが11日。12日が手術。普通は白内障の手術で縫合はしないそうなんだが、私の場合は諸事情あって2針縫ってもらったので退院は15日。
まぁ、翌日から眼帯は外せて(保護メガネはつけてろと言われましたが)これがまた見えるのなんの。見えすぎて困る、とかいう古すぎるCMを思い出すほどに。
 
で、少し考えた。
まぁ、レンズは焦点を合わせて取り込むだけなので見えるかどうかは脳の判断なわけだが、それにしても、DNAや細胞のレベルの話でいうと、先週から俺は、生まれて初めて「自分のDNAで作成されていないモノで世界を眺めている」ということになる。
レンズというか水晶体はものを判断しないが、とはいえ俺のDNAだったわけで、俺の癖、というものがあったはずだし、組織としてコントロール下にあったはずのものだ。
それが俺から見ると価値中立的な人工レンズに変わることで今までと違うものが見られるようになるのかどうか。全ては脳次第だが、脳(というか意識)がクリアに出来れば少し違った世界が見えるのではないかと。
 
結果どうなるかはこれからの話が、脳をクリアにする、という意味でただ「見えるようになった」ではなくて「違うレベルでものを見ることができるようになった」ところに行ければ面白いなぁ、と思うし、その意味でいろいろ燻っていたものを解き放つ意味でも復活の狼煙を上げてみようじゃないかと思うわけですね。
という新年でございました。はい。
寒中見舞いはこれから出します。一部を除いて。
それにしても去年のエントリは誤字が多いな(笑)
 
 
 

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