どんどん潰されているというブログエントリで盛り上がっていたので古い小さな駅を見に行ってきた(桜井線編その3)

さてと、魔の3回目でございます(だいぶ間隔が空きましたけど)
前回はこちら。
どんどん潰されているというブログエントリで盛り上がっていたので古い小さな駅を見に行ってきた(桜井線編その2)
前回の「帯解駅」から南方数百メートルで行政区域は奈良市から天理市に移ります。
今このエントリを書いている最中のBGMはカシオペアの「BAYSIDE EXPRESS」というナンバーなんですが、この区間での桜井線は完全に「Mountside LOCAL」です。まぁどうでもいいですが。

以前は桜井線の東西ではっきりと市街地と田園が区分されてるような感じがあったんですが、最近(というかバブル以後)ぼちぼち開発が進んでいて、そうでもなくなりつつあります。とはいえ、そういう傾向は特にこの区間ではまだ残っているので、桜井線で通常運用されている「105系」という高度成長期の常磐線各駅停車車両を改造したロートルでは座る場所によって見える風景がすこぶる異なります。
ということで、車窓を楽しむには前面か後方、つまりいわゆる鉄的かぶりつき、ってヤツに限ります。その際に面倒なのが、「ラッシュ以外ほぼほぼワンマン」で一番前は開けておかないと迷惑、というあれなんですが、幸いなことに、天理までは無人駅は左しか開かないので、右に立っておけば迷惑にならずに済みます。もっといえば、最後部なら無人駅ではドアが開かないし車掌がいないので、思う存分流れ去る景色を堪能できます。
さてさて、さわりはこれぐらいにして、今回も駅順に。
[櫟本] – [帯解] – [京終] – [奈良]
読めますか?いろいろと難読駅が多いのが桜井線でして…初見で読めるのは地元民かつ利用者だけだったりするとは思いますので読めなくても心配はないです。
ということで、「いちのもと」駅です。数百メートル東を並行する、国道169号線を走る奈良交通の路線バスにも「櫟本」というバス停がありますが、ここの案内には「和邇下(わにした)神社前」という案内がついたりしました。このあたり、古代は豪族「和邇氏」の本拠とされるあたりです。

ichinomoto_station
櫟本駅(全景)

駅の北側から構内まで築堤上にあり、若干線路の東西で段差があるために、入り口に階段がついたのかもしれません。バリアフリー的には若干面倒な階段ですね。ただ、駅の威容を強調する役には立っているかもしれず、ここまで見た中でいちばん堂々として見えます。そこそこ駅前も広いので、楽に車は転回できます。(駅までの道がけっこう狭いのでどのぐらいその需要があるか、というのは別にしますが、まぁ、奈良基準では特別狭いわけではないので軽自動車なら…)
櫟本駅入口(上屋)
櫟本駅(入口)

小さいながらも入り口に別に上家がついており、これも貫禄を醸し出す要因でしょうか。中に入ってみます。
櫟本駅舎内部(待合)
待合部。デジャブw

右がさきほどの入口にあたります。なんというか、どこかで見た感じ、というより、このあたりは共通ですね。緑のお酒の通函はご愛嬌。
自販機がこれまでの2駅よりは大きい気がしますが、おそらく、この駅の裏側に県立高校(奈良県立添上高等学校)があって高校生の利用が多いからかとも。そのせいか、ここはわりと遅くまで駅員が配置されていた駅でもありました。(これまでの3駅のなかでは最後でなかったかと)
櫟本駅(改札)
標準的なるも、出札跡のシャッターが新し目?

ここも向かいのホームへは跨線橋で移動します。向かいのホームの待合所は少し記憶よりも綺麗で、近年になって手入れされたかな?という感じがしますが。開業時期が同じはずなのでそれほど変わりませんね。(早くも語彙が枯渇?w)
櫟本駅前の風景
駅舎からの眺め

入口から逆方向を望むと、こんな感じです。目の前を細い街道が走っています。そして正面奥に向かっては商店街の名残らしきものがありました。先にも書いたように、そこそこ旧跡があること、そして日常的な利用があったことで小規模ながら商店の集積があったようです。(旧街道筋でもともとそういった機能があったかもしれませんが)
商店街は全く寂れていて、店舗も並行する国道沿いに移っているのが寂しいところですが、それが故に昭和の雰囲気が(右手マンションをのぞけば…)残っているのが逆になかなか趣のあるところ。
車の大きさと比べていただくと道幅がわかるでしょうか。(正直なところ、プリウスだと大きいなぁ…というのも含めてw)

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です