2008.07.13 「正しいのか、行き過ぎなのか?」

最近、いくつか考えることがありましたが。

その1。

先日、某私鉄ターミナルでの出来事。
座席指定の有料特急に乗ろうとした車椅子の子供と母親。
あいにく数人前のところで満席となり売り切れ。

それに対して母親が
「どうしてもこれに乗らないと時間に間に合わない」と。
「車椅子に乗っていると混んでいて普通の列車に乗れない」。
「だから有料特急に乗らないといけないのに満席で乗れない」
「何とかこの列車に乗れないのか」
という論調でした。

別にこれだけなら、首都圏の非常識な(あえて言いますが)混雑に
大してはある意味まっとうな主張ではあります。
その日の急行は車椅子どころか、キャリーバックだってはばかられる混雑でした。
休日だというのに。

問題は、その母親がその特急の発車時刻を過ぎても駅員と押し問答を
していたことでした。

都合、2分程度発車が遅れたわけですが、このことで、確実に1分後に
発車する急行にも遅れが出ます。

主張はわかるが、だからそれを1,000人を優に越えるほかの乗客の乗った
列車を遅らせる理由になるか。

根本的に解決するなら、相手は駅員でなく会社か行政です。
そのあたりを踏まえてこの母親は訴えていたのかどうか。

もうひとつ。
ドラマの「モンスターペアレント」の予告編でも出てましたが、給食費。
頼んでない、とか質がどうのとか、っていう話が良くありますが。

これは現場の教員に言っても仕方のない話だとわかって親は言ってるのか。
学校での給食に関しては学校や先生の判断でなく、究極的には
「学校給食法」という法律にのっとって実行されているわけですから、
給食の実施の可否については少なくとも市町村の教育委員会や行政に
対して話をしないと動くものも動かない。
それをただ給食費を払わないで現場の教員に文句を言うだけなら
金を払いたくないだけのエゴと取られても仕方がない。

突き詰めると、法律や条例、実際の施行規則を作ってるのは
国民の代表者である議員と、付託された行政ですから
結局、その手の文句は自分自身の不注意に唾しているのと
同じだということに気づいているのかどうか。

社会って、そんなに自分の思ったようにだけ動かないだろう、
とは思うんですが。
もちろん、車椅子の問題なんかは総合的な交通政策の検討の中で
通常よりも優先して移動の確保に取り組むべき問題なのですけれど。

 

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